吟詩の昇段試験を受けることになり、師匠の師である中谷淞苑先生の
指導を受けました。
発生練習を入念にしますが、どうも腹式呼吸になりません。
それから声のキーを少しずつ上げていきます。
2本、3本、4本、と、酸欠になってまるで鶏の鳴くようです。
練習曲は松陰先生の『辞世』です。「吾今 国の為に死す…悠悠たり
天地の事 鑑照 明神に在り」朗々と詠うと気持ちの良い曲です。
課題曲は河野天籟作『大楠公』です。
今までは4句から成る絶句(ぜっく)しか稽古してこなかったのですが、
今回は8句から成る律詩(りっし)なのです。字句を覚えるのはもちろん、
絶句の倍の長さは、練習でも息切れをするくらいです。
先輩に見守られながら、直立不動で吟詠し終わりますと、
中谷先生から次々とコメントを頂きます。
「はい!」
「わかりました。やってみます。」
まるで小学生のようですが、ご指摘が的を射ているのです。
例えば音を揺らして吟じているつもりでも、そうは聴こえていません。
そして音階は合っていても、詩の情感を吟じ分けることができていません。
芸の道は本当に深いなぁ、と溜息を吐きながら先生の言葉を待っていますと、
濁音の話をされました。歌手の由起さおりさんがおっしゃったことらしいですが、
『花』滝廉太郎の♪春のうららの 隅田川♪、の隅田川の音程は
尻上がりに高くなっています。ところが2番、♪見ずやあけぼの 露浴びて♪では
“露浴びて”の部分の音程は下がっているのです。1番と3番では高くしているのに何故か。
それは“浴び(濁音)て”の音階を上げると美しくなく、
滝先生は音程を変えることで作品の品性を守ったということらしいのです。
『花』が歌い継がれていることに合点がいきました。